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【選評】永遠凝視者
- 雪雪
2017/06/29 (Thu) 04:12:19
今回は無理かと思っていましたが、ここにきて時間が空いたので選評させてください。いつも遅くて申し訳ありません。
◎<永遠凝視者2>
> さらさらと流れる川は、名前をひととき川と言います。
ひととき川で始まり、ひととき川で終わるこの物語は、ひととき川でくくられる。
主人公は現在、現実の仕事はしていないのだから、バーベキューのくだりは虚構であり、その虚構の記憶がある夫も自分の好みに合わせた虚構。虚構の夫を捧げることができるなら、竜神さまも虚構。主人公の心は夫から竜神に移っており、虚構の存在からの依頼によって、人柱を調達しているところだが、夫もそれに流用してしまった。
というような解釈は解釈に過ぎないが、そういう解釈に思い至る前にも、ひととき川から語り起こされたこの物語が、ひととき川を迂回して語られ、最期にまたひととき川に言及されて終わるそのとき、物語が異様に思いも寄らぬ方向にふくらみ、氾濫を予感させる。そこが読み処だろう。
パソコンのディスプレイを覗きこんで「この写真、この前人柱にくれた人だよね」と竜神さまが語りかけてくるとき、主人公は、疲れているけど夫にするよりは穏やかに答えるのだろう。
ついでに言えば、虚構の夫が直接話しかけることができる主人公も、いくぶん虚構である。
△<永遠凝視者3>
> ふと立ち止まり、萌えが燃えになるような新緑の中にいた。
この一連の作品群にポジティヴに言及する人は少ない。形式が変わり、稚拙さが目立つ今作に接して、余裕で書き飛ばしているのではなく、なにか切実なものを含んでいることがいっそう伝わってきて、ああこれはラヴレターなのかと思い至った。届かせようという対象が形而上のものか形而下のものかは、わからないけれど。
×<永遠凝視者14>
> 望んだところでなれるわけでは無いし、望まなかったからと言って免れるものでも無い。
粒子が降り注いでいるのに、上下の概念に意味がないという意味のなさが意味不明。